天皇・コロナ・ポピュリズム 読んだ本シリーズ26

 

毎週月曜は『読んだ本シリーズ』

 

著者は日本の近代史がご専門の方。

日経新聞に掲載されていた

この方の「大衆化」についてのお話が目に留まって、

あまり得意ではないジャンルですが、購入しました。

 

天皇・コロナ・ポピュリズム
─昭和史から見る現代日本
筒井 清忠・著 (ちくま新書)

 

 

『昭和10年代の日本』と『今の日本』がよく似ている

という著者の話が気になって読み進めました。

 

 

このコロナ禍において、私には

政治だけでなく、身の回りで

《違和感を覚えて仕方なかったこと》

たくさんあります。

 

違和感を覚える部分ばかりを取り出してみると

著者の解説のとおり、たしかに

戦争に向かった昭和のころの日本とよく似ています。

(もちろん時代や環境が異なるので、今から日本が戦争に向かうと考えるわけではありません)

 

 

戦争に向かったころの日本は・・・

普通選挙の実施やメディアの台頭があり、

政治においても

「ポピュラリティーの高い人が当選する」

(親や先祖が有名人)

という文化が形成された時代でした。

 

 

また、権力をもっている(統制するはず)のところが

本当に怖いわけではないという点

とても今の日本に似ていると思います。

 

法令試験過去問

 

戦時中の話として筆者が引用している記述があります。

戦時中には軍と警察が恐ろしかったと言われているが、

私の実感としては隣り近所の人の眼の方が恐ろしかった。

 

彼女が恐れたのは帝国陸軍ではなく、世間という名の民間人であった。

 

 

コロナ禍でも、そうですよね。

(都会の方では様子が違うのかもしれませんが)

コロナで怖いのは、病気にかかることより、「周りの目」

私の暮らす地方では、これがごく普通の意見。

 

政府の強制力は弱くても、

民間人の同調圧力が強い。

「マスク警察」なる言葉まで生まれたのは、

地方だけでなく、全国的な話ですね。

(「他県ナンバー狩り」という言葉も生まれましたね)

 

昭和10年代も今も、

著者の言葉を借りると

他者(外部)思考型の人間が大量に生み出される

状態です。

他者(外部)思考型とは

外からの情報、メディアの言葉、大衆論

に飛びつく人ですね。

 

 

「外部思考であること」にも

苛立ちを覚えるのですが

私にとって、どうしても気持ちが悪いのが、

客観的根拠がないように思えるものをも、

盲目的に宗教のように信じる

こと。

しかもそれが、あれだけ信じていたのにも関わらず、

空気のような、迷信のような、うつろいやすく、捉えどころのないものである

ことです。

 

なぜ、私が身の回りで起こることに

どうしても納得いかないのか、

著者の言葉で少しスッキリしました。

 

彼らには

時勢をなにか霊的な力を持つようなものと視ることからくる崇拝感・畏怖感がある

とのこと。なるほどね。

 

 

最後に筆者からの激励でしめると

今、この時代を生きる私たちは

「世界情勢」に霊的力を感ずるような

非合理主義にとらわれない、

一言でいえば

長期的な文明論的視野に基づいた判断力を

持ち合わせた人間の形成

をしていかなければなりません。

 

経営者、経営者さんと関わる者として
真面目なビジネス系、組織論系、経営論系
・・・に留まらず、小説、学術系まで。
『雑食読書』の鈴木が毎週1冊本をご紹介いたします。

 

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