Representative Introduction
代表者紹介
経営者様の力を引き出し、
思いを実現する。
経営者様の
力を引き出し、
思いを実現する。
鈴木 亜紀子
行政書士/宅地建物取引士
昭和58年生まれ
多治見北高校、早稲田大学 卒業
岐阜県多治見市育ち
Biography
経歴
大学時代
応援部で社会において大事なことを学ぶ
大学時代は、早稲田大学で体育会の応援部に所属しておりました。
バリバリの体育会!
最近は、「体育会系=時代遅れの悪いもの」として、排斥される傾向にありますが、私は、社会で必要なことの多くは応援部で学ばせてもらったように思います。
上下関係、下としてのマナー、上としての気遣い、学生でありながら名刺をもって大人と折衝する経験、疲れた後輩をいかにやる気にさせるか、努力している人に「頑張れ」と言える自分でいること、仲間の結束と広がり・・・
応援部で学んだことは、20年経った今でも自分の生き方の根幹にあります。
銀行員時代
仕事をするうえでの「当たり前」を得る
応援部での活動で、早稲田のまち(商店街)の方々とのつながりをもちました。
その中で、
「経営者さんって面白い」、「このまちにこのお店や会社があることが、その地域にとって意味のあることだ」
と感じて、
「たくさんの経営者さんに会える」「お店や会社がそこに存在し続ける手助けができる」と、卒業後は三井住友銀行に入行しました。
メガバンクは、とにかくスピードが速い業界。
会話に出てくるのは「期日」ではなく「時限」。
「これって時限いつですか?」
「何日まで」ではなく、「何時まで」が会話です。
「通常のやり方なら〇時まで、こうすれば△時。それなら実行できる」
そんな環境の中にいると、自然とスピードに関する意識は鍛えられます。
社会に出たときの環境が、その後の自分の仕事においての「当たり前」に大きな影響を与えます。それがスピードの速いメガバンクだったことは、私にとっては幸運でした。
メガバンクですので情報に大変厳しく、書類の持ち出しや外での会話等、情報管理について。
しつけられたことも、後の士業人生に活きています。
市役所時代
「自分と違う人」がいることを知る
結婚して、当時の夫の勤務地であった香川県高松市へ。
嘱託職員として高松市役所・障がい福祉課にて勤務しました。
都心のメガバンクとは違って、瀬戸内の穏やかな気候の穏やかな役所の人たち。
ここでは、「これまで私に見えていたのは世界のほんの一部の人間だった。これまでの私には『見えていない人』がたくさんいた」と知りました。
朝早くに満員電車に乗って、メガバンク(しかも法人営業部なので個人さんとは接点がない)で働いて、夜遅くに電車に乗って帰ってくる。
・・・そんな生活では、「バリバリ働く人」しか接することがなかったのです。
身体や環境はみんな一緒ではない。同じようには頑張ることができない人もいる。
その人がおかれている環境は「自己責任」ではない。
そんな当たり前のことも気づけないままでは、その先の人生で人を傷つけたり追い込んだりするところでした。
専業主婦時代
細切れの勉強時間を捻出して2つの国家試験に合格
子育ては親育て。子育てをすることで随分と自分が成長できました。
娘が生まれ、毎日公園や水遊びをハシゴする、娘との濃厚で幸せな生活は私の宝物
・・・・ではあったのですが、
洗濯をしていても、料理をしていても、途中で娘に泣いて呼ばれて、何ひとつ「達成感」がない日々。
そして専業主婦の私にとって「世界のすべて」「唯一の日本語がしゃべれる相手」であった夫との仲がうまくいっておらず、夫に否定される日々。
そんな中、「客観な評価がほしい」と国家試験を取得することにしました。
1年目には「文系の登竜門」とされる宅建試験に合格、
合格したので「次はもう少しレベルの高い試験を」と思ったものの、稼ぎもなく実家も遠く乳幼児を抱える私、「自宅学習で取れる資格を」「試験時間の短い試験を」と考え、行政書士試験に合格。
このときは、まだ行政書士が何をする職業なのか、知りもしませんでした。
離婚
娘を自分で幸せにする覚悟。サーカスの象の自分との決別
前述のとおり、専業主婦の私にとって「世界のすべて」である家庭で否定される生活が続いていたので、「自分はできない」「自分はダメな人間だ」と本当に思い込んでいました。
本当は鎖を杭ごと引き抜く力をもっていても、杭につながれた鎖からは逃げられないと信じて疑わない「サーカスの象」状態です。
「シングルマザーで子どもを育てていくなんて、できるわけがない」「子どもがいるのに離婚を考えるなんて、私はダメな母親だ」「離婚したら子どもがかわいそう。子どもの選択肢が狭まる」
と、ずっと自分を責めていました。
あるときふと、「娘の一番近くにいる大人である私が、ただただ夫の顔色を窺って、何も考えないように何も感じないように、『能面』のように生きていて、そんな私を見て育つこの子は、人生を楽しいと思えるのだろうか、人生に希望をもてるのだろうか」と考え、
「忙しくてもいい。娘に『かっこいい大人の背中』を見せたい」
そう決めて、3歳の娘を連れて夫とは離婚することにしました。
サーカスの象からの決別です。
この時代の不安、悩んだ経験があるからこそ、人の弱さや不安がわかるようになり、今の自分があると思っています。
開業
行政書士として
「食えない」と言われる行政書士、周りには就職を進められましたが、銀行を辞めた時に一度は捨てた気持ちを思い出し「経営者さんたちの力になれるかも。社会にその会社が存在し続ける手伝いができるかも」と、行政書士として開業することを選択。
「カネ・コネ・経験」なにひとつ持ちあわせていなかった私ですが、人に恵まれる才能だけはある私、ここまでやってくることができました。
事務所名の「エール行政書士事務所」には、「あくまで会社様の事業であって、私が事業を行うことも売り上げをあげることもできないけれど、経営者さんが本業で力を発揮できるよう、思いを実現できるように応援する」という意味が込められています。
どれだけICTが進化しようとも、運送業者さんや建設業者さんが元気にその地域に存続していなければ人の生活は立ち行きません。
私自身は小さな小さな個人事業主ですが、私が企業様をサポートする力を高め、良い企業様が社会で力を発揮できるよう応援をすることで、世の役にたてるのではと考えています。
これまで、他の行政書士ができなかった案件も実現させることで、その力を高めてきました。
おかげ様で、経営者さんに「もっと早くに出会いたかった」と言っていただいております。
シングルマザー
たくさんの役割・「鈴木亜紀子」として
開業したときには、「娘と私」しか見ていなかったのに、いつの間にか「娘と私」だけを見ればいいステージは終わり、たくさんの役割を担い、地域社会や子ども達のことを見るようになっていました。
たくさんの経験をしてたくさん学んで、たくさんのつながりをもって、身近な部分なら『仕組み』を変える、誰かの『困り感』を解消するのに、少しは力になれるようになってきたように感じます。
これまでの経験から、「子ども自身が自分では選べない環境(親の忙しさや経済面、身体のこと)が理由で経験できることが制限されることがひとつでも減るように」と願っています。
Regional position experience
地域での役職経歴
(現在のものも含んでいます)
・多治見市教育委員 ※現在
・一般社団法人多治見青年会議所 委員長、専務理事、副理事長、理事長
・公益社団法人日本青年会議所 内部会計監査人グループ 副代表
・多治見商工会議所 女性会 監事 ※現在
・多治見リバーサイドロータリークラブ ※現在
・多治見市総合計画市民委員会(第七次総合計画) 副会長
・多治見市事業評価委員会 副会長
・多治見市行政改革懇談会 副会長
・多治見市男女共同参画推進審議会 副会長
・多治見市教育基本計画策定市民委員会
・多治見市教育行政評価委員会
・多治見市子育ち支援会議
・多治見市女性活躍会議
・多治見市指定管理評価委員会
・多治見市特別職報酬等審議会
・FM PiPi 番組審議会 ※現在
・岐阜県立多治見工業高等学校 学校運営協議会
・岐阜県立多治見高等学校 学校運営協議会
・学童保育保護者会代表
・小学校PTA本部役員