教育委員をやっており、勉強としてピックアップした本。
親としても「元・子ども」としても共感や勉強がつまった本でした。
学校は行かなくてもいい
親子で読みたい
「正しい不登校のやり方」
小幡和輝 (著)
・自分の過去を話すことで納得できた。
著者は不登校であったことを「悪いこと」だと思っており、人に話すことがなかった。
それが、講師として自分の経験を話してみたら拍手をもらえ、「あっ」と気づいたとのこと。
「乗り越えたのではなく、納得できた感じ」というのが、とてもわかりやすい。
不登校だったときは、理由もわからず心が整理できていない状態だった。
「わからない」ということも含めて、話すことで整理できることもある。
・先生のもっている知識は偏っている。
高校では大学入試を意識した生活をして、大学は教育学部(主に)で、
まわりのコミュニティは教育関係者が多い。
そんな環境で過ごしてきたから。
私も大きく共感する。
子どものころから知っている職業になると決めて、その目標を達成している点でもそう感じる。
学校に関することは、とても属性が似通った人たち(学校に馴染むタイプの人たち)でつくられている。
それは、私が教育に携わる理由のひとつでもある。
※私は、教育関係者でない、学校が好きではない、目標を達成したわけではない、民間の経済人。
・私が生き方を伝えよう。私が生き方の見本になろう。(保護者の言葉)
「学校に行かせることより、生きてもらうことを優先しました」
とある保護者の言葉。
これは疑いようもない事実。
もし子どもが死んでしまうかもしれないと思えばこの結論に至るが、
どのタイミングでこの決断に振り切れるかは難しいところ。
この保護者の素敵なところは
「私が生き方を伝えよう。私が生き方の見本になろう」
と考え、様々なことにチャレンジして自分自身を理想の大人に変えていったところ。
この家庭の場合は「子どもが学校に行けないなら」とこう考えたらしいが、
学校に行っていても、それは親として大人として素敵なこと。
私は、教育委員なんてやっていますが、生粋の「学校嫌い」。
幼稚園は脱走し、小学校も中学校も嫌い。
高校は(自主性を重んじる自由な校風だったので)少しマシになり、
大学は(ものすごく自由な校風だったので)楽しくなりました。
そもそも、高校と大学は自分で「行く」と決めて行っているので、「行きたくない」と言っていた幼稚園・小学校・中学校とは、心持ちがまったく違いました。
ひとりの親として、子どもの一番近くにいる大人として、「かっこいい大人でいよう」と決めたことから私の人生がリスタートしています(離婚)。
幸い娘は、保育園は好き、小学校中学校は好きではなかったものの通ってくれて(私に比べたら数倍えらい!)、
この3月で保育園3年・小学校6年・中学3年を終えることができました。
大きくなってしまえば学校に行ったかどうかより、結局、生き抜く力を育てることができればOK。
そのために子どもの近くにいる大人に何ができるかというところでしょう。
経営者さんと関わる者として
ビジネス系、組織論系、経営論系・・・に留まらず、小説、学術系まで。
『雑食読書』の鈴木が毎週1冊本をご紹介いたします。