誰の味方でもありません・読んだ本シリーズ51

月曜は本の紹介です。

今週は、朝のワイドショーなどに出演している古市さんの著書。

誰の味方でもありません
古市憲寿・著

(いきなり「おわりに」の話で恐縮ですが・・・)

「おわりに」で紹介されていた晩年の勝海舟の言葉

誰を味方にしようなどというから、間違うのだ。

みンな、敵がいい。敵がないと、ことが出来ぬ。

古市さんは「みんな敵がいい」とまでは言わないですが、味方のためだけでは思想が凝り固まる。

そして、味方が敵になることも、敵が味方になることもある。

それならば「味方」「敵」と明確に区分けしないでおこうという精神の現れがこの本とのこと。

世の中には、レフェリー気取りで様々な事象に対して審判をくだす人がとても多い。

という話。

もともとあったことだとは思いますが、情報社会において随分と顕著になっているのでは。

「正論」と呼ばれる意見については冒頭でも言及していましたが、ここでも「正論」の危険性について述べています。

反論のしにくい「正論」をかざして、レフェリーたちが誰かを叩きのめしていることを、「果たしてこの営為は、社会を良くしているのだろうか」と。

「こちら側にいれば自分は安全だから」「正論だからやってもいい」と、だんだん自分に酔って、やっている本人にとっては、いつの間にか自分のその行為が「正義だ」「世のためだ」となっているのでしょうが、それが本当に何か良いことになっているのかと言ってやりたいですよね。

アーカイブの時代、「エビデンス」が求めれれる。大胆なことを言うと「エビデンス警察」に逮捕される。しかし「エビデンス」もよく検証してみると、いくつもの条件の上に成立した暫定的な答えであることがほとんど。

「エビデンス」とか言いつつ、随分と特殊な条件のもとにでてきた結果だったり、検証する際の分け方だったり、「エビデンス」そのものがグラグラの根拠であることが多いことを、(理系の脳みそでない私ですら)感じることが多々あります。

ニュースですら突っ込みたくなることがたくさんある中、日常社会ともなると「エビデンス」とか言ってくる人に限ってそうなんですよね。

でも、そんなエビデンスでOKだから、「エビデンス(笑)」をつけて説得することが簡単というメリットもあると思っています。

他人に勝手に寄り添わない。被害者不在の議論には加わらない。たやすく不寛容になるから。

「私はこれほどまで、あなたのためを思って発言しているのにあなた自身はなぜ怒らないんだ」となることが書いてありました。

これも本当に多いですよね。

当事者同士で決着がついていてもそれを外野が大きく騒ぎ立てていたり、自分が被害者でないのに原因となって人を攻めたり。

「自分が許す立場にないのに責めている人」って多いと思うのです(私も気をつけなくては)。

身近なところでも感じますし、朝の情報番組などでも感じます。

黒人に対する白人の「寛容さ」、女性に対する男性の「寛容さ」も、これに通ずるところがあると思うのは「弱い側」である女性として生きているからでしょうか。

(ちなみに・・・このような事象に興味をもって、大江健三郎の「死者の奢り」という本を買ってみましたが、あまりに暗くて気持ち悪くて読み進められませんでした。勇気のある人は読んでみてください。)

ウィットに富んだ小話(防衛省と財務省の話がお気に入り)もたくさん出ており面白い本でした!

本当に「誰の味方でもありません」というタイトルのとおりで物事を見て生きていきたいですね。

一元的にものを見るのではなく、なんでも線引きして二極化してしまうのでもなく。

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